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■本社(ほんしゃ)群馬県指定重要文化財
厄除け・方位除け・雷除け・雨乞・豊作・学問 |
本社とは、その神社の中心となる社殿を言います。天保6年(1835)の造営。江戸時代神社装飾建築の粋を集めた華麗な二間社権現造(にけんしゃごんげんづくり)の社殿です。彫物(ほりもの)は左甚五郎(ひだりじんごろう)10代目の親方、石原常八(いしはらつねはち)の作。名人の技をごゆっくりご覧ください。火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)・大雷大神(おおいかづちのおおかみ)・別雷大神(わけいかづちのおおかみ)、菅原道真(すがわらのみちざね)公ほかをお祀(まつ)りします。
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■左甚五郎10代目親方 石原常八 |
深く、鋭い。
江戸建築彫刻の最高傑作をご覧ください。
本殿の周りに施された名匠石原常八の驚くべき技を一つ一つご鑑賞ください。当時の人たちが誰でも知っている物語を彫ったものです。
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■奥宮(おくみや)群馬県指定重要文化財 |
縁結び・子授け安産・家内円満。
奥宮は本社の真後ろにある社殿です。
江戸時代最後の慶応4年(1868)の造営。大工の棟梁(とうりょう)は三村正秀。流造(ながれづくり)。すべて白木(しらき)の社殿に名工のノミの冴(さ)えを見ることが出来ます。伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)をお祀りします。
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■東の神馬(しんめ)
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足腰健康の御守護。
雨降りを願うには、この赤い神馬にお祈りください。
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■西の神馬(しんめ)
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眼の健康の御守護。
晴れを願うには、この白い神馬にお祈りください。
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■末社・八幡宮稲荷神社(まっしゃ・はちまんぐういなりじんじゃ)国指定重要文化財 商売繁盛・五穀豊穣・子育て・武運長久。 |
末社とは本社に付属する社殿のこと。室町時代の天文16年(1547)、飯野城主(いいのじょうしゅ)篠崎三河守(しのざきみかわのかみ)が造営。全国に7か所あるのみの二間社入母屋造(にけんしゃいりもやづくり)。真横から見る屋根の曲線美が見事です。群馬県内に現存する最古の神社建築です。八幡大神(やはたのおおかみ)・稲荷大神(いなりのおおかみ)をお祀りします。
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■謎の真中の一本柱 |
国指定重要文化財のこの社殿には、御扉が2組あり、その真ん中に一本の柱が立っています。これは、二間社造りと呼ばれ、重文クラスでは全国にも7箇所しかない、珍しい造りです。室町時代、天文16年の御造営です。敢えて大いなる御力を封じ込め、やわらかい御恵みを戴こうというものです。
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■雷童子
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ふと現れて助けてくれる。
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■弁財天(別の名を市杵島姫命(いちきしまひめのみこと))の石像
財宝富裕・音楽芸能・美人長命・開運招福
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社殿の東側にある駐車場に立って東を見ると、弁財天の石像が見えます。
お願い事を書いた紙が入る「卵抱き白蛇」は、御像のそばに置きます。
7月第2日曜日(10:00〜15:00)は、美卵奉献の日です。神符授与所においでくださると、鶏の卵一個を差し上げます。これを弁財天にお供えしてから持ち帰り、その日の内に、焼いたりゆでたりして食すると霊験ありと言われます。
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■徳川将軍家の三つ葉葵の紋章 |
江戸時代の延宝2年(1674)、上州館林城主徳川綱吉公が社殿を再建、それ、当神社では、左三つ巴の紋章に併せて、徳川家の三ツ葉葵の紋章を使うようになります。その6年後の延宝8年、綱吉公は第五代将軍になります。
写真は屋根に付いた「三つ葉葵」の紋章。 |
■雷電沼には龍が棲む |
ここは、古代、万葉集の東歌に「かみつけの いならのぬまの おおいぐさ よそにみしよは いまこそ まされ」と詠まれた景勝で、境内の雷電沼のほとりにはこの東歌を刻んだ碑が立っております。昔、この沼からは龍駒・龍馬が飛び出したとも、あるいは龍が棲むとも伝えられ、日照りのときに雨乞いを行い、参拝者が身を清める沼でもありました。このほとりには安産・財運・音楽の神を祀る弁天社もあります。 |
■弁財天
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弁財天は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)とも申し上げ、水の女神にして、財宝富裕、音楽芸能、美人長命、開運招福の御神徳で知られます。本社正面から西に向かって森の小道を行くと、これが二手に分かれます。右に向かう小道を行き、ゆるい階段を降り、芝生を直進すると石鳥居のある小さな総欅(ケヤキ)造りの弁財天社にお参りできます。そばの雷電沼には龍が棲むと伝えられます。
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